池田のあゆみ

池田地区運営協議会

2022年05月18日 15:00

▼明治の天竜川「池田橋」    徳川慶喜氏(江戸幕府15代将軍)が撮影


▼昭和30年の豊田西小学校(池田小学校)の全景    敷地は現在の豊田西保育園


古 代
 大昔は、現天竜川の流路が定まらず人間が生活できる自然環境ではなかった。
 8世紀ごろ、奈良の都から地方の国へ国司や役人が往来するようになり、租税を納める交通が必要になった。9世紀に、広瀬川(現在の天竜川)の流れが急で渡れるのに時間がかかり、舟を待つ旅人が滞留してしまうため、渡し舟を2隻増やし4隻にしたことが記録に残っている。
 平安末から鎌倉時代にかけては、京都松尾神社の荘園として栄えていた。
 
中 世
 この時代の天竜川は、池田の東側を流れていた。鎌倉幕府と京・大阪の間には、人間の往来、物資流通が盛んになった。当時は、東海道池田宿として繁栄していた。源頼朝や平家の落人重衡も泊まった記録がある。中世の紀行文学書の中にしばしば登場するが、「平家物語」や「源平盛衰記」には、熊野御前の記事もある。
 戦国時代には、信長や家康など多くの武将が大軍を率い、天竜川に舟橋を架けさせて渡ったことが記録に残っている。
 中世の末ごろ、天竜川の流路が変わり、池田宿の西側を流れるようになった。宿場はしだいにさびれてきたが、渡舟場として重要な役割を果たしてきた。

近 世
 徳川家康は特に、池田渡舟を重要視し、天正元年(1573年)舟方の年貢や諸役一切を免除し、天正3年(1576年)、渡しの舟頭を殴れば死罪にするという制札を出すなど特権を認め、舟頭衆を手厚く保護した。江戸時代の池田は、幕府領で中泉代官所の支配を受けていた。村内には、舟方(渡舟)と地方(宿方)に分かれていた。
 渡舟方にに関わる人数は、延亨元年(1744年)の記録によると、家数216軒、人数916人、庄屋1人、居番(舟方役員)11人、舟頭146人、その他下働きであった。
 地方(宿方)の数は、安永8年(1779年)の文書によれば、家数42軒、人数174人、名主1人、組頭1人、百姓代1人の村役が治めていた。耕地は29町余で、田は1割、畑8割、その他1であった。
 村内の様子は、南北に東海道が通り、両側に家が並び、旅人のために茶屋もあり、なべ焼き、どじょう汁は街道名物となっていた。
 渡舟場は三ヶ所あり、下横町に市川本陣、上横町に平野本陣があり、宿屋も数軒あって見付宿・浜松宿の間の宿として栄えていた。

近 代
 明治7年(1874年)、源平新田と中ノ町間に天竜橋(舟橋)が完成。同9年に木橋になり、長い池田渡舟の歴史を閉じて廃止になった。
 明治20年代になると、天竜奥の佐久間町や龍山村に製紙工場や鉱山が開発され、鉱石の運搬や生活物資を上流域に舟で運ぶことが盛んになり、天竜川に帆舟30隻、小舟が951隻もあった。天竜上流の木材を筏(いかだ)に組んで池田や中ノ町に流したことで製材業が盛んになった。また、天竜川の流れを利用した水車舟で精米も盛んに行われた。
 しかし、陸上トラック輸送が発達したことにより、舟運の仕事が減少してゆき天竜川の風物詩であった帆舟や水車舟も姿を消した。


  歴史年表

近世までは、徳川家康から天竜川渡舟の朱印状を与えられ、渡舟場として賑わった。
明治初年時点において、池田は幕府領であった。



1868年(慶応4年)5月24日
  徳川宗家が駿河府中藩に転封。それにともない遠江国内で領地替えが行われ、幕府領が消滅。府中藩領となる。
1869年(明治2年)8月7日
  府中藩が静岡藩に改称。
1871年(明治4年)7月14日
  廃藩置県により静岡県の管轄となる。11月15日 、 第1次府県統合により浜松県の管轄となる。
1873年(明治6年)
  西之島学校の分校として、池田妙法寺内に龍池舎が設置される。
1876年(明治9年)8月21日
  第2次府県統合により静岡県の管轄となる。
1878年(明治11年)
  池田橋が架橋。木橋で有料橋であった。池田渡舟が廃止になった。
1880年(明治13年)
  龍池舎が独立し居楽町に校舎を建て開校。その後、1888年(明治19年)に池田尋常小学校と改名する。
1889年(明治22年)4月1日
  町政制施行により近世以来の池田村が単独で自治体を形成し、豊田郡池田村が発足。
1896年(明治29年)4月1日
  郡制の施行により所属郡が磐田郡に変更。
1907年(明治40年)
  池田ー中泉中泉間に中泉軌道が敷設・開業。池田で陸揚げされた木材や鉱石を運搬した。
  大正末期には廃止になった。
1933年(昭和8年)
  天竜川鉄橋が完成し、木橋の池田橋が廃止になる。
1955年(昭和30年)3月
  富岡村と井通村が合併し、豊田村が誕生する。
1955年(昭和30年)4月 
  池田村と十束村の一部が豊田村と合併し、大字池田となる。
  合併により、池田小学校は豊田西小学校に名称変更する。
1959年(昭和34年)
  豊田西小学校は、富岡小学校と統合し、豊田北部小学校となる。(小学校の跡地は、現在の豊田西保育園)
1973年(昭和48年)
  1月1日、豊田村が町制施行して豊田町となる。
  都市計画法による土地利用の規制が厳しくなる見通しから、豊田町の農地転用の申請件数が急上昇する。
  このころから、豊田町の人口が増え始め、池田地区の人口も急増していく。
1974年(昭和49年)
  豊田町の人口増加率が静岡県第1位になり、昭和52年まで4年連続して県下1位を継続する。
1976年(昭和51年)10月12日
  都市計画法に基づき、磐南都市計画の線引きが施行され、池田地区の一部が市街化区域に編入される。                
1978年(昭和53年)
  4月29日、池田音頭保存会が、「池田音頭」の制作発表を行う。
  6月、池田地区への転入者が倍増し、新住民とのコミュニティ社会構築が池田地区の大きな課題となる。この課題解
  決に向け、行政のバックアプにより「豊田町西地区コミュニティ会」が発足。静岡県のコミュニティモデル地区の指定を
  受ける。
  8月、戦後、途絶えていた池田やかた祭りが復活。池田中自治会有志で始める。  
1979年(昭和54年)
  4月27日、静岡県コミュニティモデル事業の一環によって、豊田西公民館(現池田交流センター)が落成する。
  6月、同モデル事業の支援を受け、豊田西保育園に夜間照明施設が整備される。
  また、地域住民の手作りで着手した墓地公園にトイレや遊具が整備され、上新田公園が完成する。
  7月、第1回西地区「盆踊り大会」が豊田西保育園で開催される。
1980年(昭和55年)
  1月、第1回西地区「おめでとう会」が豊田西公民館で開催される。
1982年(昭和57年)
  少年補導件数の増加や豊田中学校の校舎ガラス破損事件をきっかけに組織的な青少年健全育成活動への期待が
  高まる。
  7月31日、豊田町豊明会が発足し、町をあげて青少年健全育成事業を始める。
1989年(平成元年)
  4月15日、池田渡船の歴史を後世に伝えていくことを目的に、池田渡船保存会が発足する。
  初年度の乗船体験イベントは、天竜川漁協から舟を借用、250人分の渡船手形が午前中で完売。
  100年ぶりの再現は大盛況。会員の熱意で町の補助も受け和舟を建造していくことに。
  渡船イベントは、2011年8月17日の天竜川舟下り転覆事故(5人死亡)を契機に、開催を中止している。
1991年(平成3年)
  12月、JR東海道本線に豊田町駅が完成し、開業する。
1994年(平成6年)
  アミューズ豊田が完成する。
1998年(平成10年)
  熊野御前の生誕800年を契機に、町をあげて熊野800年祭を実施。シンボルとして熊野記念公園を整備する。
  付帯施設として全国でも希少な屋外型能楽堂を併設する熊野伝統芸能館が落成する。
  能楽堂は観世流宗家が監修したことから、観世流二十六世家元 観世清和師によるこけら落とし公演を実施する。
  池田渡船の歴史を紹介する池田の渡し歴史風景館と平安の道(熊野門前市通り)も整備する。
2005年(平成17年)4月1日
  豊田町が磐田市・竜洋町・福田町・豊岡村と合併し、新磐田市が誕生する。
  合併に伴い、豊田町西地区コミュニティ会が「池田地区コミュニティ会」に名称変更する。
2013年(平成25年)6月15日
  地域福祉の充実を図るため「池田地区社会福祉協議会」が設立される。
2014年3月(平成26年)
  豊田西公民館の耐震工事が完成。4月からリニューアルオープン。
2015年(平成27年)
  4月、豊田西公民館が池田交流センターに名称変更する。
  5月、池田地区コミュニティ会が組織変更し、名称を池田地区運営協議会に改める。
  池田地区運営協議会のホームページを開設する。
  池田地区の自治会の名称が次のように変更される。
    6上→池田上自治会、 6下→池田藤美自治会、 7上→池田中自治会、 7下→池田南自治会
  池田地区安全・安心推進協議会が発足し、青色防犯パトロール、子ども見守り活動が本格的に始動する。
2015年10月(平成27年)
  磐田市合併10周年にあたり、「長藤まつり実行委員会」が長年にわたり地域振興に功績があったとして
  磐田市長より、感謝状が授与される。
2016年(平成28年)2月14日
  磐田市消防団豊田方面隊・第3分団の詰所が池田交流センターの南側に移転・竣工し、地域関係者を招いて安全祈
  願祭を行う。
2016年(平成28年)4月1日
  池田地区社会福祉協議会が「せいかつ応援クラブ」を組織し、高齢者世帯等を対象に生活支援事業を始める。
2019年5月1日(令和元年)
  元号が「平成」から「令和」に。令和新時代がスタートする。
2019年12月(令和元年)
   2019年12月、中国湖北省武漢市で原因不明による肺炎が集団発生。新型コロナウイルス感染症が世界的な
  大流行が始まり、徐々にコロナ禍が世界全体に深刻な影響を及ぼし始める。
2020年7月24日(令和2年)
  新型コロナウイルス感染予防のため、池田地区の恒例行事がほとんど中止になる。
  この機会を契機として、天竜川で命を落とした人々を供養する「川施餓鬼(7/24 誓渡院)法要」について、遺族も
  高齢化し、参列者が少なくなったことを踏まえ、当分の間、休止することを決定する。
  また、上新田墓地の無縁仏供養祭も併せて休止することも決まる。
2021年1月21日(令和3年)
  豊田支所のアミューズ豊田移転に伴い、アミューズ豊田の「工作室」機能が池田交流センターに完全移転。
  池田交流センターに陶芸用の「電気窯建屋」が完成。池田交流センターで陶芸サークルの創作活動が始まる。
2021年4月(令和3年)
  磐田市初の小中一体校「ながふじ学府」が開校。4月8日に新校舎で入学式を行う。
  豊田支所がアミューズ豊田内に移転し、業務を開始する。旧豊田支所庁舎は、部分改修を行い磐田市の防災備蓄
  センターとして稼働し、大規模災害時における支援物資の拠点施設になる。
2022年4月21日(令和4年)
  池田地区運営協議会が、磐田警察署長から長年の地域安全活動(防犯・交通安全)に功績があったとして表彰を受
  け、感謝状が交付される。

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